さとしの笑顔、さとしがここにいる奇跡 in ハワイ

お紅白のPRスポットが流れ始めたそうですが、あれってどこを張っておけば捕獲できるのかな〜。 例によって相棒ディーガちゃんの残量が少なくてベタ録りできないしな〜って、そういえばローソンおにぎりもまだ捕獲できていなかったんだった。
とりあえず、来週の智さんお誕生日にあるベスアの容量を確保するくらいには、編集を急いでやってしまわないと^^;



さてさて、自分の中のやっつけときたい宿題として残っている、えねっちけーのドキュメント。 しやがれハワイSPは諦めました^^; 
ぶいえすハワイの感想で若干燃え尽きちゃったし、書いても似たようなことの繰り返しになっちゃうのでどうしようか迷ったけど、あんなに素敵な番組だったので、記念でもあるし、智さんのとこだけでもちょっとだけ書いておこうと思います。


〜国営嵐ドキュメント〜



やっぱり智ファンとして触れておきたいことを順番に3つほど。

去年のラブコンでの智さんのソロ曲(Hit the floor)の事で、まつじゅんと気まずい空気になった事。
ファンとしてはフルコーラスで観てみたかったけど、1コーラスという時間配分で演じる事は智さん自身が決めた事だったのね。 それは何となくそうなんだろうなとは思ってはいたけれど、せっかくまつじゅんが 「フルでやんなよ」 って言ってくれたのを 「自分的に持たない気がしてた」 って受け入れなかった智さん。 これがフルコーラスを削れっていうのなら問題ありだけど、1コーラスをフルに変更するのを拒否したのは、あのHit the floorの激しいダンスを、智さんの納得のいくクオリティーで観客に届けるには、フルではなく1コーラスがベストだと計算したって事だよね。
ソロは自分だけがその時間を全責任を持って預かる時間。 自分の表現したい世界を存分に発揮する唯一無二の時間。 大がかりな演出に頼らず、研ぎ澄まされた歌とダンスでその世界観を最高のものとしてファンに届けるためには、フルコーラスで演るのは (クオリティーが) 「持たない」 と判断したんじゃないのかなぁって想像してる。
アルバムツアーのソロ曲は、そのツアーでしかお披露目しないものだし、それぞれのメンバーのファンにとっては特別なものであるはずだから、ソロ曲だけはメンバーの考える世界観を優先するものであって、本来ならば全体の流れの理由からいじっていいものではないと個人的には思ってるの。 智さんも1コーラスでダンスの構成を考えていただろうし、その時間配分で調整してきてるだろうから。 だから本当なら、ここは 「ムカつく」 ところではないし 「俺が悪いのわかってて言えない」 ところでもないんじゃないかと思ったの。
でも潤さん的には、多少の変更でもリーダーならできるでしょっていう絶対的な信頼が前提にあっての事だったと思うし、智さんのソロを少しでも多くの時間、ファンに届けてあげたいっていう気持ちもあったのかもしれないよね。 ただ智さんの、お客さんに観せるものは常に完璧なものでありたいっていう職人技のプロ意識が、体力的だったりその他の智さんが考えうる色んな理由でダレてしまうことを許さなかっただけで。
智さんて実はしっかりとファンをリサーチしてて、その要望にちゃんと応えてくれる人だし、今じゃ自分のパフォーマンスが多くの人達から支持されて望まれていることだってちゃんと知ってると思うの。 それでもフルコーラスでの披露の要請を 「俺がやってもつのはこの尺しかない」 っていう言葉で謙遜して受け入れなかった事こそが、決して 「頑固」 というわけじゃなく、智さんのソロへのこだわりだったんじゃないのかな、なんて思ったりもしました。
あと、このやり取りの時に、翔さんが一切笑わず 「なんでなんで!? なんでムカついたの!?」 って言ってたのが印象的でした。 もしかしたら翔さんも同じような考えだったのかなぁ、なんて、つい勝手に思ってみたりして^^;
ちゃんと自分がこだわるところは断じて譲らず、押したり引いたりしながら、コンサートを組み立てていってるんだという事を知ることができた貴重なシーンだったように思います。


ニノの不調はネットで何となく情報は得ていたけれど、脚がしびれるまで腰にダメージを受けていたんだね。
舞台裏で応急処置を受けるニノ。 次のスタンバイに追われながら、その様子を遠巻きに見る智さん。
ジャンプアップでの登場をやめてスライドアップにするように提案する潤さんに大丈夫だと言うニノ。 でも大丈夫のハズがないのもニノの様子を見れば明らかなわけだけど、ニノからすればこれが最高の策として熟考のすえ練り上げられ、それに対する準備や繰り返された練習、そしてこの時間のためにお金を払い、時間を使って観にきてくれているファンの為にも、自分の都合で演出を変更させるわけにはいかないという強いプロ意識と責任と、多少なりとも演出家に対する遠慮があるわけで、スライドアップに変更して欲しいとは自分からは言えないし言わない。 

「スライドにしようよ」

ジャンプアップで登場するその一瞬の華やかさより、ラストまで5人のステージを務めあげること、大切なメンバーの安全を守ることを即断したリーダー。
リーダーが決断することにより、その判断はどちらのプライドも傷つけない。 
多くを語らずとも仕事に対する姿勢や在り方で、時にメンバーの仕事に対する意識に大きな影響を与え、行く先を指南しながら、こんな風に様々な非常事態を切り抜けて、この人はグループを支え、メンバーを守ってきたんだね。


そして、嵐を辞めようと密かに葛藤していたという事実。 毎日流していた涙の理由。

2000年にニノから入った嵐への入口。 そこから少し時間をおいて育児にも少し余裕が出始めて、私が本格的に嵐を追いかけるようになったのが2006年の終わりくらいからでした。
と言うことは、私が応援するようになった頃には、すでに智さんの中では脱退の意思がうごめいていたってことなんだね^^; ひーっあぶねぇ(@_@;) 
でもね、2006年からっていうのが少し腑に落ちなかったの。 それは智さんの個展の事だけど。 ファンからの要望に応えるために、初めて自らやりたいと思うことを事務所に申し出たっていうのが2008年に行うことになった個展の事で、それって確か、2006年の舞台、転生薫風をやってた時だったんだよね? 辞めたいと思いながら、でもファンの期待に応えるために個展の企画を申し出たり、この年に意欲的にソロコンをやったりしてたっていうのがちょっとピンとこなかったりしたけれど、だからこその葛藤という言葉だったのかもしれないなぁ。

「単純にもう 自由になりたい」

正直この言葉から連想するのは、どうしてもあの夏を思ってしまって、あいばちゃんが先日のサタジャニで、リーダーには本当に辛い時期があって、それは魔王の頃だったって答えてるように、あの時期というのなら充分に想像ができることだけれど、それ以前からだったっていうのが衝撃的だったし、何よりすぐ身近にいたメンバーにとっては尚更の衝撃告白だったんじゃないかなぁって、あたりまえのことを考えてみたりする。
でもそれとは別に、智さんのようなあらゆる可能性に恵まれた人を、ひとつの世界、アイドルという制約の多い場所に留めておくのも、ある意味残酷な事なのかも知れないし。 当の本人である智さんが、無意識のうちに本能でそれを感じていたんだとしても何の不思議もなかったかもしれないなぁ、なんて。

智さんは、2006年〜2009年の間のみならず、デビューする前から、そしてデビュー後もずっと葛藤し続けて苦しんでもきたけれど、踏ん張って乗り越えて、今は何の迷いも無く、嵐を選んでくれた事、メンバーを選んでくれた事、ファンを選んでくれた事。 
今ここに大野智が存在するという全ての奇跡に、ただひたすらに感謝した、私の妄言もはなはだしい、そんなNHKドキュメントの感想でございました。