さとしと暁とJaponism


「暁」 大野智が新たなステージに到達した瞬間を見た(聴いた)ような気がしました。

脳裏に色鮮やかな映像が浮かんできて、丹念に創り上げられたMVと共に歌を聴いているみたい。

過去のエントリーにも使った事のある言葉ではあるけれど。

妖艶 耽美 幽玄 典雅 流麗 夢幻 魔物 月下 夜桜 花吹雪 吉原 仇の花  

この曲を聴いて瞬時に連想したのがこんな言葉。

和歌を主題にした曲なので、当然平安朝のイメージが浮かぶけど、どうしても歌詞のなかの 「追えど見えぬ」 が 「お江戸見えぬ」 に聴こえたりして、案外、吉原の絢爛豪華な世界観にもあうんじゃないかと思います。 誰かさとしに打掛、伊達兵庫と三枚歯下駄を!!

「静かな夜に」 を聴いた時も、音楽と共に森の中、月下の白く淡い光の中で舞い踊る智さんの映像が浮かんできたけれど、私はあの曲が大好きで、Hit the floorがでるまでは、もう何百回聴いたかわからない。 抑揚を抑えたメロディーラインだけれど、それを補ってあまりある叙情的な歌詞の美しさと智さんの正確な発声のボーカルが、たまらなく心地よく、何度だって繰り返し聴いていられます。 「暁」 もそんな感じ。

智さんの歌声を、永遠と言っても過言でないほどにずっと聴いていたいと感じるのは、奇跡のような声質もさることながら、決して大げさに情感を込めることをせず、歌詞の一字一句を正確に発音し、作り手や聴き手に対して敬意を表し、歌詞の世界観を丁寧に誠実に届けようとしているからじゃないかと思っています。 個性や小手先で聴かせるのではなく、正真正銘の直球勝負。

「暁」 は、最初は嵐の曲として候補にあったものだったんだってね。 R&Bのような曲調を好む智さんが、それまでとはグッとテイストの違う 「暁」 を自身のソロに拾ったことに、智さんの新境地へのあくなきチャレンジ精神と、なおかつ京都時代を彷彿とさせる原点回帰の精神をも感じさせて、大野智、全然現状維持なんかじゃないぞって、ちょっと興奮した^^

この曲を智さんはどんな風に振り付けるんだろう。 何やら身体のラインをキレイに見せる踊りになるとか仰っているそうで、和装をアレンジした衣装で、あまり細かく刻まずに、日本舞踊のごとく流れるように優雅に舞っていただけたなら、ワタクシ、日本一!って叫ぶかもしんない。 ←やめましょう (ちょっぴり小声で言うなら、あえてこの曲をただこさんの振り付けでも観てみたい気もしています)
現在、そんなワタクシのお花畑な脳内は、ドームの花道を三枚歯の黒下駄で、外八文字で練り歩きながら歌う花魁さとしを妄想にて楽しんでいます^^

哀しみと切なさのなかに内包する情熱。 そして妖しくも絢爛豪華な 「暁」

これらを見事に表現してみせた大野智。 あっぱれです。