息子の卒業notアラシゴト


ジブンゴトです。 老後に読みかえす思い出話をちょこっと。


11日は息子の中学校の卒業式でした。

ついこの間、入学式に行ったばかりのような気がするのに、もう卒業だなんて月日の経つのはホントに早くて。 何だか歳ばっかくってるような気がするよ。 年齢のわりに子供が小さいから余計そう思うのかも知んないけど^^;

中学校に入学した頃はポチャってた息子も、入学後すぐに入部した野球部の練習であっという間にすっかり引き締まり、その後の中学生活をぶかぶかの制服で過ごすハメになったんだったなぁ。 もったいないから新たに買い替えなんてしないしね^^;

その息子が入部した野球部は部員が少なくて、息子が2年生の6月になった頃には3年生が引退し、新入部員が入らなかったその年は、残った部員が息子達2年生の4人のみという状態になっちゃって、野球部そのものをどうするかってことになったんだけど、タイミング良く顧問の先生が20代半ばの若い熱血な先生に変わったので、野球を教えるために教師になったという熱血先生の積極的な働きかけで、同じように部員不足の他校と合同チームを組めることになり、練習試合や条件的に参加できる公式戦に出場したりしていました。
それでも参加できる試合数は少なかったし、普段の練習は4人だけだったから充分な練習ができなかったりもしたんだよね。
だから当然試合に出ても負けてばかり。
ちょうどその時、ニノの『弱くても勝てます』 が放送されてた頃だったから、これってリアル『弱勝て』みたいじゃーん!なんて笑っていたけども^^;

でもそんな野球部も息子が3年生になった時には、8人の新1年生の入部によって、ようやく自分達の学校だけでチームを組んで試合に出場できるようにもなったし、これまでの試合不足を取り戻すかのように、毎週末の練習試合なんかで大忙し。
ちょうど息子が中学に入学したと同時に、ダンナが神奈川に単身赴任になったから、野球部のお世話(試合への選手の送迎や会計係)に、全部私が出て行かなきゃならなかったから正直ちょっとタイヘンだった^^;
でもそれはそれで母は楽しかったけれど^^
他校と合同チームを組んでいる時に、他校からお世話に来ているお母さんの中にキスマイファンの方がいて、よく一緒にジャニヲタ話をしていたなぁ。

息子たち3年生は6月いっぱいで部活を引退。 9月の体育祭では、学級対抗リレーのアンカーで走るからというので、その日は仕事を休み時間を見計らって観に行くも、息子の姿がみあたらず。 肝心のリレーが始まっても、息子のクラスのアンカーに、息子ではなく息子の幼馴染が走っている。 で、嫌な予感。 あいつ、またどこかケガしたな(;一_一)

結局、息子は午前に行われた障害物競走で、並走していた生徒に接触され、受け身が上手くとれないまま派手にすっ転び、左膝損傷。 MRI検査にて靱帯損傷と診断される。
おいおい…部活でケガらしいケガも無くやってこれたのに、楽しい体育祭で全治3カ月ものケガなんて負ってんじゃねーよ。ヘタに靱帯なんか痛めたら、この先のスポーツ人生に支障をきたすじゃねーか。 足の速さだけが取り柄だっつーのに。

そんな感じで治療装具を装着しながら、いよいよ学校も受験の準備というか、ちょっとずつそんな雰囲気になってきて、でも相変わらず息子はのんびりマイペース。 ようやくエンジンがかかったのが2月に入ってからという恐るべきスロースターターっぷり。

結局一番最初に考えていた高校は、思っていたのと違うということでやめにして、最後までどこにするか悩みに悩んでそして調印。 息子たちはミレニアムベビーなので、例年よりも子供の数が多いにもかかわらず、これといって定員を増やさないどころか、逆に減らす学校もあったりして、溢れ出る定員数と高い倍率に母の目は回りそう。(@_@;) 

発表の前に卒業式があるけれど、ママ友さんたち皆、結果発表が気になって感傷に浸れないという、そんな中学校の卒業式を終え、そして16日、無事に息子の合格通知も届き、ようやく私の肩の荷がひとつ下りたような気がします。

昨日は息子と一緒に高校の制服を買いに行ってきました。
詰襟からブレザーへと変わる、息子のひとつ大人になった姿を見て、ささやかな幸せを実感した母なのでした。

息子よ。 中学卒業、そして高校合格おめでとう。 

新たな環境でも、君らしく楽しみながら頑張っておくれ。