さとしと若冲とFREESTYLEⅡ


フリスタに合わせたわけではないけれど、以前、新聞の書評欄に紹介されていた、澤田瞳子氏の小説 「若冲」 を、先日ようやく読み終えることができました。


若冲

若冲


時代小説を読むのなんて久しぶりで、若かりし頃読んだ南総里見八犬伝の派生小説と、その後読んだ沖田総司以来かもしれない^^;
時代小説って、使われている漢字が普段はお目にかかることのない難しいものだったり、出てくるワードの数々が、歴史文化に詳しくないと、それがどんなものであるかピンとこなかったりして読みづらく、普段なら手にすることはほとんどないけれど、智担にとって若冲といえば智さん。 ハードカバーの小説は、携帯しづらい上にお値段も高めなので、普段は買わずに文庫になるのを待つところだけど、今、まさしくフリスタが開催されているこの時期に読まずしてどうするんだと思い、合間合間の時間を縫いながら読み進めました。

時代小説が苦手な私でも、読み始めると意外にもスッと小説の世界観に惹きこまれました。 不思議と作品の中に出てくる、若冲が使用する顔料の色が、パッと鮮やかに頭のなかに広がって、小説そのものを極彩色に染め上げたようなイメージが浮かぶのと、また、智さんの若冲ラクルワールドをきっかけに、番組や作品集を通じて知り得た数々の絵画たちが、ことごとく小説のなかに登場してきた時に、それがどういう作品であるかということが、すぐにも頭に浮かんで理解できたことが、この小説をスムーズに読むことができた大きな要因だったのかもしれません。

実際の若冲はたしか生涯独身だったはずだけど、この小説のなかでは妻がいて、その妻を自死に追い込んだ事への贖罪と、その妻の弟の、自分に向ける激しい憎悪と対峙することが、圧倒的な色彩と奇抜な構図、狂気にも似た緻密で濃密な作品を生みだして行く源になっていたりして、このへんは作者のフィクションであっても、あの若冲の圧巻の作品の数々を見ていると、本当にそういう業に突き動かされていたんじゃないかって思わせるくらい、実に説得力のある作者のストーリー構成と筆力でした。
関係各所にお願いし、貴重な若冲の作品をお借りして、この小説を映画にでもすれば、すごい映画が出来そうな気がするんだけどな。

若冲が小説の中で用いる裏彩色の技法を、時代を経て、同じように細密な絵を描く智さんの作品の中に生かされているんだなと想像すると、何故だかすごく感慨深い想いになりました。

そんなフリスタ。 智さんが上海にて書いた 「謝謝」 の文字。 あれは新聞に紹介されていたのが完成形ではないんだってね。 完成形の 「謝謝」 の文字を、表参道でも展示してくれるといいなぁとは思うけれど、あれは遠い上海で応援してくれている地元のファン、わざわざ上海まで足を運んでくれた日本のファンに向けた智さんの感謝の想いだから、それを表参道の会場に展示するのは、また意味が違ってくるのかもしれないよね。 でも観たいなぁ^^;

24日はフリスタグッズと作品集休暇を申請していますが、作品集のほうは、すぐには見ないで取っておこうと思っています。
先に情報を入れないで、まっさらな気持ちで作品と向き合いたいから。 智さんの新たな作品を目の前にして、自分の中に、どんな想いが湧きあがってくるのかが楽しみだったりしています。